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武蔵国分寺・七重の塔のぐるりを読む(地図とメモ) [武蔵国分寺・七重の塔のぐるりを読む]

「塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る」の掲載が中途のまま、一部、修正の必要も感じながら、ながらく更新が止まっておりました。

この11月は、武蔵国分寺について、たてつづけに二つの講演を聞き、あらためて、武蔵国分寺の地割りや配置は、他のどことも似ておらず、非常に謎が多い、その謎は今も謎のままだということを確認しました。

これを機に、「七重の塔を中心とする12方位線上に、寺域内の地割や配置を決定する要となるポイントが乗っている」という発見について、その骨格だけはまとめておこうと思い立ちました。

国分寺市教育委員会が提供しているパンフレット表紙の地図をベースとして、地図上の書き込みは手書きにて、また、説明にあたる文章も、メモ様の手書きですが、10枚のシートにまとめました。
この10枚をスキャンした画像(JPG)をそのままアップします。

塔のぐるりメモ01.JPG

塔のぐるりメモ02.JPG

塔のぐるりメモ03.JPG

塔のぐるりメモ04.JPG

塔のぐるりメモ05.JPG

塔のぐるりメモ06.JPG

塔のぐるりメモ07.JPG

塔のぐるりメモ08.JPG

塔のぐるりメモ09.JPG

塔のぐるりメモ10.JPG


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新燃岳(しんもえだけ)噴火の霧島と武蔵国分寺(2011.2.1) [コラム]

しばらく更新が止まっておりました。歴史ルポ「塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る」の連載も止まったままになっております。

きょうのレポートは、霧島連山と武蔵国分寺の不思議な位置関係について。

宮崎、鹿児島県境の霧島連山・新燃岳(しんもえだけ)の噴火活動が活発化し、火口内の溶岩ドームが崩壊して火砕流が起きる恐れが高まったとして、立ち入り禁止区域が宮崎県側で火口に最も近い高原町(たかはるちょう)に避難勧告が出たとのこと。
火口内の溶岩ドームが直径約500メートルに膨張、中心部の高さが約100メートルに達し、火口縁と同程度になっているのが確認されたそうです。

高原町(たかはるちょう)では、空振のドンドンドンという音や地鳴りがひっきりなしに続き、火山灰が降っているとのこと。私も阪神淡路大震災直後、地の底から鳴り響く地鳴りを経験しているので、どんなに怖いかよくわかります。
農作物も火山灰をかぶり、畜産農家は牛を置いて避難できないと、家に残っている方もいらっしゃるそうです。一部、牛の避難も始まっているように聞きますが、一刻も早く、人間と家畜の避難が完了し、避難生活ではあっても、安全に寝て食べて健康が保てる環境が確保されるよう、祈るような気持ちです。
噴火災害は終焉がいつになるかが見えない災害です。自治体だけでなく、国の支援が不可欠です。

さて、霧島連山といえば、一番南の高千穂峰は、いわゆる天孫降臨の地とされる霊峰。天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)が降臨に際して、山頂に逆さに突きたてたという鉾「天の逆鉾(あまのさかほこ)」を、幕末の坂本龍馬が引き抜いたというエピソードが、昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で話題になりました。

霧島は、ここ武蔵からは遥かに遠い地ですが、不思議なご縁があります。
天平時代の寺院・武蔵国分寺の七重の塔と、僧寺寺院地区画の南西の角を結ぶラインは、冬至の日没の方角とピッタリ一致しますが、そのラインを西へずっと伸ばして行くと、富士山頂を通り、伊勢神宮を通過し、高千穂峰・霧島神宮付近に到達するのです。
ニニギが降り立ったという高千穂峰、天照大神がまつられている伊勢神宮、そして富士山頂は冬至の日没(=夏至の日の出)ラインで結ばれ、その東の延長線上に武蔵国の国分寺がある、というわけ。
天孫族の東征の物語と奇妙に一致しているのが興味深いです。

天孫降臨があったとされる霧島の地から見ると、伊勢は日出国(ひいずるくに)。伊勢から見ると、まさに富士山・武蔵国などの東国が日出国(ひいずるくに)なのです。

より大きな地図で 冬至・夏至方位線ネットワ-ク を表示

同じ「太陽の道」上の武蔵国分寺から、霧島の地へ、心からお見舞い申し上げます。

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噴煙を上げる富士の背後に日が沈む(日が昇る)光景(2010.11.22) [コラム]

目のまわるような忙しさで、しばらく更新が止まってしまいました。

さて、富士山が国の史跡に指定されることになりました。
文化審議会が11月19日、文部科学相に答申をしたとのニュース。日本の古代から近代に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要として、8合目以上の山頂部と社寺などを指定するのだそうです。

武蔵国分寺の七重の塔と僧寺寺院地区画溝の南西の角を結ぶ線を延長すると富士山頂に到達し、その方角は冬至の日没の方角とピッタリ一致します。
奈良時代に国分寺建立の詔を受けて武蔵国分寺の伽藍配置が設計された当初から、富士山頂と冬至の日没の方角が強く意識されていたのは間違いないだろうと考えています。

しかし、武蔵国分寺から見えていた当時の富士山の姿は、現在のような穏やかで秀麗な姿ばかりではなかったようです。
奈良時代から平安時代の終わり頃まで、富士山はさかんに噴火を繰り返し、絶えず噴煙を上げていたのだとか。
富士山の噴火が正式な記録文書に残された最初は781年、奈良時代の終わりごろですが、それ以前、万葉集にも富士山の噴火をうかがわせる歌があるそうで、奈良時代の始めごろにも噴火をしたようです。
武蔵国分寺の設計・建設が行われていたころにも、富士山は噴煙を上げていたか、あるいは噴煙はおさまっていたとしても、噴火の記憶が新しい、そんな時代だったようです。

12月22日の冬至の日、太陽は富士山頂の真下に向かって、富士山の左の肩口から沈みます。
富士山頂に沈むのは12月の頭と1月の中ごろ。
運がよければダイヤモンド富士が見られますが、今年はどうでしょう。

今年の1月14日には、七重の塔跡から、富士山頂に沈む夕日の撮影に成功しました。
http://musashi-kokubunji.blog.so-net.ne.jp/2010-10-21-2

12月の頭まで、あと10日ほど。
武蔵国分寺の全盛期、冬至前後の太陽が噴煙を上げる富士山の真裏に沈んで行く光景を、人々はどんな思いで眺めていたのでしょう。
今年は、私もそんな光景を想像しながら、冬至の日没を眺めてみようと思いますが、当時の人々の富士山への信仰は、現在の穏やかな富士山への畏敬とは違う、もっと深い畏れだっただろうことは想像に難くありません。

武蔵国分寺と富士山頂を結ぶラインをさらに西へ延ばしていくと、伊勢の二見ヶ浦に到達します。
二見ヶ浦からも富士山は見えるそうで、夏至の頃、夫婦岩の間に小さく見える富士山の真裏から、大きな大きな朝日が、富士山をすっぽり覆うように昇ってきます。
そんな瞬間をとらえた現地のポスターを写真に撮ったものを拝見したことがあり、目が釘付けになりました。

真っ赤な朝日の真ん中に、奈良・平安時代の噴煙を上げる富士山が見えたら・・・。
人々が抱くのは、畏敬というよりむしろ畏怖の念ではないでしょうか。
それは、富士山そのものに対する畏怖であるばかりでなく、そうした光景が見える伊勢二見ケ浦という土地そのものが信仰の場となっていったのだと思います。

このたび、国の史跡指定の答申がなされた場所は、富士山の八合目以上の山頂部と社寺だということですが、富士山は、富士山そのものだけでなく、それを眺める場所が信仰の場所となってきたということを、あらためて考えさせられました。


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目次 [武蔵国分寺の不思議を探るテキスト版目次]

新着記事:(11/7)
28.武蔵国分寺プランの独創性


ルポルタ-ジュ
塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る~今も生きる国分寺市都市計画第一号
畑中久美子著  (武蔵国分寺の立地と伽藍配置の謎を考える歴史ルポ)

武蔵国分寺の日の出日没画像.JPG
武蔵国分寺の冬至前後の日の出と日没。浅間山(府中市)の真裏から日が昇り、富士山の真裏に日が落ちる。

●A4サイズ横使い印刷に適したワ-ド版はこちら
地図資料 new!


<目次>
00-0表紙
00-1はじめに
00-2武蔵国分寺跡全体地図(国分寺市作成)
00-3武蔵国分寺四次元村・絵地図(畑中作成)
●00-4目次

Ⅰ.七重の塔を巡る方位線上に区割りと配置を読む・・・・・1
01.塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る -----1
02.寺院地の形と崖線の関係 -----2
03.七重の塔と湧水の関係 -----3
04.七重の塔と富士山の関係 -----4
05.北西と南西の角は、塔から見た日没の範囲を指し示す -----5
06.塔からの方位線と中枢部中軸線の関係 -----6

Ⅱ.草創期の区割りと配置・・・・・・・・・・・・・・・・7
07.古寺院地区画溝とは? -----7
08.古寺院地区画には「原型」があったのではないか? -----8
補足資料:古寺院区画決定手順推定略図
09.まずは古寺院地区画北辺の折れ曲がりに着目 -----9
10.「古寺院地区画の原型」を割り出す -----10
11.「原型」のカタチをじっくり眺めてみよう -----11
12.「原型」を左に傾ける -----12
13.古寺院区画の中枢部中軸線を推定する -----13
14.東偏1度の基軸に合わせた別の配置を仮想してみる -----14

Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置・・・・・・・15
15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ)-----15
16.僧寺金堂が、尼寺を含めた全体の中央に位置する -----16
17.参道口からの眺めをイメ-ジする -----17

Ⅳ.尼寺の位置をめぐって・・・・・・・・・・・・・・・18
18.尼寺の場所は浸水危険地帯では? -----18
19.尼寺伽藍地の不思議なかたち -----19
20.「古寺院区画」の尼寺はどこに計画されていたのか? ---20
21.計画変更に関する国分寺市教委の解釈 -----21
<参考資料>武蔵国分寺跡資料館解説シ-トNo.4「武蔵国分寺の建立」
22.尼寺はなぜ浸水危険地帯に造営されたのか? -----22

Ⅴ.もうひとつの七重の塔・・・・・・・・・・・・・・・23
23.もうひとつの七重の塔が出てきた! -----23
24.作りかけのまま断念された時期と理由を考える -----24
25.七重の塔を再建した壬生吉士福正(みぶのきしふくしょう)という人物 -----25
26.「もうひとつの七重の塔跡」の存在から見えてきたこと ---26

Ⅵ.今も生きている都市計画・・・・・・・・・・・・・・27
27. 塔の位置取りから、全体のコンセプトが見えてきた ---27
28.武蔵国分寺プランの独創性 -----28

---(以下、準備中)----------
29.今も暮らしに生きている古代道 ①僧寺への参道 -----29
30.今も暮らしに生きている古代道 ②堂道 -----30
31.今も暮らしに生きている古代道 ③四中北側の道 -----31
32.今も暮らしに生きている古代道 ④元町通り-1 -----32
33.今も暮らしに生きている古代道 ④元町通り-2 -----33

Ⅶ.国分寺崖線の湧き水の威力・・・・・・・・・・・・・34
34.2004年秋の大湧出 -----34
35.1991年秋の大湧出とJR新小平駅・隆起水没事故 -----35
36.野川公園「自然観察園」で湿地帯を体感する -----36
37.野川・人工堰を押し切ったあばれ川のエピソ-ド -----37

Ⅷ.水と塔を中心とした造営計画・・・・・・・・・・・・38
38.治水と利水の都市計画 -----38
39.聖武天皇と水 -----39

●おわりに -----40
●武蔵国分寺周辺の風景 -----41
●参考図書・資料・ホ-ムペ-ジ -----42, 43



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塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る(ワード版) [武蔵国分寺の不思議を探る(ワード版)]

ルポルタ-ジュ 塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る~今も生きる国分寺市都市計画第一号

地図資料 new!


ワード版 (A4サイズの印刷に適しています)

00-0表紙.doc
00-1はじめに.doc
00-2武蔵国分寺跡地図(国分寺市作成).doc
00-3武蔵国分寺四次元村地図.doc
00-4目次.doc

Ⅰ.七重の塔を巡る方位線上に区割りと配置を読む
01.塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る.doc
02.寺院地の形と崖線の関係.doc
03.七重の塔と湧水の関係.doc
04.七重の塔と富士山の関係.doc
05.北西と南西の角は、塔から見た日没の範囲を指し示す.doc
06.塔からの方位線と中枢部中軸線の関係.doc

Ⅱ.草創期の区割りと配置
07.古寺院地区画溝とは?.doc
08.古寺院地区画には「原型」があったのではないか?.doc
古寺院区画決定手順略図.doc(07~12の補足資料)
09.まずは古寺院地区画北辺の折れ曲がりに着目.doc
10.「古寺院地区画の原型」を割り出す.doc
11.「原型」のカタチをじっくり眺めてみよう.doc
12.「原型」を左に傾ける.doc
13.古寺院区画の中枢部中軸線を推定する.doc
14.東偏1度の基軸に合わせた別の配置を仮想してみる.doc

Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置
15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ).doc
16.僧寺金堂が、尼寺を含めた全体の中央に位置する.doc
17.参道口からの眺めをイメ-ジする.doc

Ⅳ.尼寺の位置をめぐって
18.尼寺の場所は浸水危険地帯では?.doc
19.尼寺伽藍地の不思議なかたち.doc
20.「古寺院区画」の尼寺はどこに計画されていたのか?.doc
21.計画変更に関する国分寺市教委の解釈.doc
<参考資料>武蔵国分寺跡資料館解説シ-トNo.4「武蔵国分寺の建立」
22.尼寺はなぜ浸水危険地帯に造営されたのか?.doc

Ⅴ.もうひとつの七重の塔
23.もうひとつの七重の塔が出てきた!.doc
24.作りかけのまま断念された時期と理由を考える.doc
25.七重の塔を再建した壬生吉士福正(みぶのきしふくしょう)という人物.doc
26.「もうひとつの七重の塔跡」の存在から見えてきたこと.doc

Ⅵ.今も生きている都市計画
27.塔の位置取りから、全体のコンセプトが見えてきた.doc
28.武蔵国分寺プランの独創性.doc
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