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目次 [武蔵国分寺の不思議を探るテキスト版目次]

新着記事:(11/7)
28.武蔵国分寺プランの独創性


ルポルタ-ジュ
塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る~今も生きる国分寺市都市計画第一号
畑中久美子著  (武蔵国分寺の立地と伽藍配置の謎を考える歴史ルポ)

武蔵国分寺の日の出日没画像.JPG
武蔵国分寺の冬至前後の日の出と日没。浅間山(府中市)の真裏から日が昇り、富士山の真裏に日が落ちる。

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地図資料 new!


<目次>
00-0表紙
00-1はじめに
00-2武蔵国分寺跡全体地図(国分寺市作成)
00-3武蔵国分寺四次元村・絵地図(畑中作成)
●00-4目次

Ⅰ.七重の塔を巡る方位線上に区割りと配置を読む・・・・・1
01.塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る -----1
02.寺院地の形と崖線の関係 -----2
03.七重の塔と湧水の関係 -----3
04.七重の塔と富士山の関係 -----4
05.北西と南西の角は、塔から見た日没の範囲を指し示す -----5
06.塔からの方位線と中枢部中軸線の関係 -----6

Ⅱ.草創期の区割りと配置・・・・・・・・・・・・・・・・7
07.古寺院地区画溝とは? -----7
08.古寺院地区画には「原型」があったのではないか? -----8
補足資料:古寺院区画決定手順推定略図
09.まずは古寺院地区画北辺の折れ曲がりに着目 -----9
10.「古寺院地区画の原型」を割り出す -----10
11.「原型」のカタチをじっくり眺めてみよう -----11
12.「原型」を左に傾ける -----12
13.古寺院区画の中枢部中軸線を推定する -----13
14.東偏1度の基軸に合わせた別の配置を仮想してみる -----14

Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置・・・・・・・15
15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ)-----15
16.僧寺金堂が、尼寺を含めた全体の中央に位置する -----16
17.参道口からの眺めをイメ-ジする -----17

Ⅳ.尼寺の位置をめぐって・・・・・・・・・・・・・・・18
18.尼寺の場所は浸水危険地帯では? -----18
19.尼寺伽藍地の不思議なかたち -----19
20.「古寺院区画」の尼寺はどこに計画されていたのか? ---20
21.計画変更に関する国分寺市教委の解釈 -----21
<参考資料>武蔵国分寺跡資料館解説シ-トNo.4「武蔵国分寺の建立」
22.尼寺はなぜ浸水危険地帯に造営されたのか? -----22

Ⅴ.もうひとつの七重の塔・・・・・・・・・・・・・・・23
23.もうひとつの七重の塔が出てきた! -----23
24.作りかけのまま断念された時期と理由を考える -----24
25.七重の塔を再建した壬生吉士福正(みぶのきしふくしょう)という人物 -----25
26.「もうひとつの七重の塔跡」の存在から見えてきたこと ---26

Ⅵ.今も生きている都市計画・・・・・・・・・・・・・・27
27. 塔の位置取りから、全体のコンセプトが見えてきた ---27
28.武蔵国分寺プランの独創性 -----28

---(以下、準備中)----------
29.今も暮らしに生きている古代道 ①僧寺への参道 -----29
30.今も暮らしに生きている古代道 ②堂道 -----30
31.今も暮らしに生きている古代道 ③四中北側の道 -----31
32.今も暮らしに生きている古代道 ④元町通り-1 -----32
33.今も暮らしに生きている古代道 ④元町通り-2 -----33

Ⅶ.国分寺崖線の湧き水の威力・・・・・・・・・・・・・34
34.2004年秋の大湧出 -----34
35.1991年秋の大湧出とJR新小平駅・隆起水没事故 -----35
36.野川公園「自然観察園」で湿地帯を体感する -----36
37.野川・人工堰を押し切ったあばれ川のエピソ-ド -----37

Ⅷ.水と塔を中心とした造営計画・・・・・・・・・・・・38
38.治水と利水の都市計画 -----38
39.聖武天皇と水 -----39

●おわりに -----40
●武蔵国分寺周辺の風景 -----41
●参考図書・資料・ホ-ムペ-ジ -----42, 43



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塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る(ワード版) [武蔵国分寺の不思議を探る(ワード版)]

ルポルタ-ジュ 塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る~今も生きる国分寺市都市計画第一号

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ワード版 (A4サイズの印刷に適しています)

00-0表紙.doc
00-1はじめに.doc
00-2武蔵国分寺跡地図(国分寺市作成).doc
00-3武蔵国分寺四次元村地図.doc
00-4目次.doc

Ⅰ.七重の塔を巡る方位線上に区割りと配置を読む
01.塔を巡る方位から武蔵国分寺の不思議を探る.doc
02.寺院地の形と崖線の関係.doc
03.七重の塔と湧水の関係.doc
04.七重の塔と富士山の関係.doc
05.北西と南西の角は、塔から見た日没の範囲を指し示す.doc
06.塔からの方位線と中枢部中軸線の関係.doc

Ⅱ.草創期の区割りと配置
07.古寺院地区画溝とは?.doc
08.古寺院地区画には「原型」があったのではないか?.doc
古寺院区画決定手順略図.doc(07~12の補足資料)
09.まずは古寺院地区画北辺の折れ曲がりに着目.doc
10.「古寺院地区画の原型」を割り出す.doc
11.「原型」のカタチをじっくり眺めてみよう.doc
12.「原型」を左に傾ける.doc
13.古寺院区画の中枢部中軸線を推定する.doc
14.東偏1度の基軸に合わせた別の配置を仮想してみる.doc

Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置
15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ).doc
16.僧寺金堂が、尼寺を含めた全体の中央に位置する.doc
17.参道口からの眺めをイメ-ジする.doc

Ⅳ.尼寺の位置をめぐって
18.尼寺の場所は浸水危険地帯では?.doc
19.尼寺伽藍地の不思議なかたち.doc
20.「古寺院区画」の尼寺はどこに計画されていたのか?.doc
21.計画変更に関する国分寺市教委の解釈.doc
<参考資料>武蔵国分寺跡資料館解説シ-トNo.4「武蔵国分寺の建立」
22.尼寺はなぜ浸水危険地帯に造営されたのか?.doc

Ⅴ.もうひとつの七重の塔
23.もうひとつの七重の塔が出てきた!.doc
24.作りかけのまま断念された時期と理由を考える.doc
25.七重の塔を再建した壬生吉士福正(みぶのきしふくしょう)という人物.doc
26.「もうひとつの七重の塔跡」の存在から見えてきたこと.doc

Ⅵ.今も生きている都市計画
27.塔の位置取りから、全体のコンセプトが見えてきた.doc
28.武蔵国分寺プランの独創性.doc
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28.武蔵国分寺プランの独創性 [武蔵国分寺の不思議を探る(テキスト版)]

Ⅵ.今も生きている都市計画

28.武蔵国分寺プランの独創性
28.JPG

塔と中枢部が他に類例を見ないほど非常識なまでに離れていることがいつも問題になってきた。しかし類型にあてはまらないことはそんなに問題なのだろうか。類型というのは後年作られたものだ。諸国国分寺建立の草創期において「塔が離れすぎているのは非常識」という常識があったかどうか、はななだ疑問だ。むしろ武蔵国分寺プランは、地域特性にマッチするよう精緻に練り上げられた都市計画なのではないだろうか。

国分寺造営は天皇杯コンペ?
武蔵国分寺は諸国国分寺のどことも似ていない、優れて独創的な寺院だということがわかってきた。もっとも他の国分寺同士もあまり似ていないものが多い。それぞれの地域の実情に合ったものが工夫され、またそうすることが求められたのだろう。
六十余の諸国に巨大タワーの出現を思い描いた聖武天皇の発想自体が、思えばあまりにも荒唐無稽だ。聖武発案の国分寺建立プロジェクトとは、天皇杯をかけた壮大なコンペティションだったかもしれない。
天平時代は優れた文化が海外から流入した刺激的な時代であった反面、災害や飢饉や疫病が蔓延し政情が不安な辛い時代でもあった。疲弊した諸国の民衆にとって、国分寺建立の大プロジェクトに借り出されることは、迷惑この上ない苦行だったに違いない。しかし反面、帰化人の入植が盛んで有力な豪族がひしめきあう武蔵国においては、このコンペに熱心に取り組もうという気運がたかまっていたのではないだろうか。
諸国国分寺の造営プランは中央からモデルプランが示されたと言われるが、そうだろうか。それに従ったにしては武蔵国分寺はあまりにも独創的だ。筆者は地元住民なので武蔵国分寺跡は日常の散歩道だ。遺跡地図と磁石を携えて寺院地のロケ-ションを確かめて歩くことはまことに楽しく、自然景観を巧みに取り込んだロケ-ションは、見れば見るほど精緻で美しく感動的だ。そして、これは1200年前の道筋なのではないかと思える場所が意外なほどたくさんある。地域特性にマッチするよう精緻に練り上げられた都市計画は、途方もなく長持ちであることに気づかされる。

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