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15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ) [武蔵国分寺の不思議を探る(テキスト版)]

Ⅲ.計画変更後(現存遺構)の区割りと配置

15.計画変更が行われた(現存の遺構の位置へ)
15.jpg

最終的に僧寺中枢部は東山道寄りに建設され、東山道の西側に尼寺が建設された。これにともない、古寺院区画溝「A-D」は埋め戻された。黄色い線が現存遺構における主要施設の中軸線。

ここまでのまとめ
①塔は3つの湧水を背後に背負う場所に建てられ、中央の湧水と塔を結ぶ東偏1度線の左右30度の角度に両側の湧水が取り込まれている。

②僧寺寺院地の南西と北西の角は、塔から見た日没の範囲(冬至~夏至)を示す。同時に、塔の位置によって寺院地の南北の距離が決定されている。

③現存の遺構の僧寺中枢部中軸線は「寺院地北西の角」と「塔」を結ぶ線のちょうど真ん中を通過している。また、僧寺中門は「塔-湧水基軸」に対して直角の「東西軸」上に置かれており、中門と塔は東西横並びの関係になっている。

④現存の僧寺中枢部中軸線の少し西側に、一旦掘られて埋め戻された区画溝跡「A-D」が発掘調査で確認されている。これは武蔵国分寺の草創期、現存の僧寺伽藍地区画よりも古い時期に区画された溝と考えられている。

⑤「古寺院地区画」に「原型」(塔-湧水基軸に対して左右均等で湧水後背地の崖上を含む)があったと仮定し、「原型」を左に傾斜させて遷したものが「古寺院地区画」との仮説が成り立つ。

⑥「古寺院地区画」を左に傾斜させたのは、中枢部を塔の西側に置き、かつ、中枢部中軸線を崖線にまっすぐ入角させるために軸を西偏させる必然性があったから、との仮説が成り立つ。

⑦最終的には僧寺中枢部を東山道寄りに造営するよう計画変更が行われ、それにともない「A-Dの溝」のみが埋め戻され、北辺、東辺、南辺の区画溝はそのまま計画変更後の区画に使われた。


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